落語協会お囃子、恩田えりのブログです。寄席囃子の話とかとか。


by erioneesan
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小学校の頃すごく嫌だったこと(帰ってきた はなこカフェ その3)

(前回のつづきです)

杉浦さん:では、そろそろ。小学校の頃すごく嫌だったことを。

乗り越えられたか乗り越えられなかったかも合わせて、披露してもらいましょうか。  

皆さんもうずいぶん前のことと思いますが。

桜井さん:では、私から。小学校の頃は学校に行くのが嫌でした。

     学校に通うってことがすごく嫌で、ましてや体育をするっていうのがすごく嫌でした。

     小学校一年生の時の運動会。まずそれが嫌で。

     嘘をついて行かないようにしようかと思ったんですけど、見破られて、家から無理やり追い出されました。

杉浦さん:なんで、嫌だったんだろう。

桜井さん:みんなでおんなじ方向見て座っているのがものすごく滑稽に思えて。すごく不思議だった。

杉浦さん:(会場にいる桜井さんのお母様に)親御さんはずいぶん苦労されたでしょうね、ははは。

(場内爆笑)

桜井さん:でしょうね。あと、えこひいきするのが、ある一定の子どもたちを下に見ているような、そういう先生もいて、それもすごく嫌でした。

杉浦さん:それは自分が差別されたわけでなくても、ひいきされても嫌だった、と。

桜井さん:そうですね。特別扱いが嫌だった。私のほうを見ないで、みたいな。

杉浦さん:へええ…。では、次、どんどん出してもらいましょうか。

Aさん :色が白かったので「男のくせに色白だ」って言われた。母親がいないってことも嫌だった。家政婦さんがいたけど、山梨出身の人だったから煮物ばっかりでお弁当がいつも茶色で嫌だった。みんなは黄色とか赤とかいろんな色のお弁当だった。開けると茶色いから見せるのも恥ずかしい。ひとりで抱え込むように食べていた。

Bさん :やんちゃだったのでいじめられることはなかったし、嫌な思い出は特にない。先生に感謝してます。自分がどうい子どもだったかを見ててくれたからグレずに済んだ。

Cさん :家庭内で。4年生の頃、母親と手をつなごうとしたら「精神薄弱子」と手を振り払われた。母の反対にもめげず髪を伸ばして束ねていたら「韓国人みたい」と言われた。韓国人を差別していいという情報がそれまで全くなかったこと、母親が韓国人を差別していること、自分が差別される側に立っていること、トリプルショックだった。5年生の時、母と一緒に歩いていたら雨が降ってきた。母に「雨が降ってきたよ」と言うと「一番最初に雨粒が当たった人は不幸になる」と言われた。自分の子どもに不幸になるっていう母親ってどうなんだ。そういう言い伝えは確かにあるけど(参加者:へええ、と、どよめく)。自分の子どもには思いついたら何を言ってもいい、という考えがあったんだろう。要するに『所有物』だったのだろう。母の手はいつも痛かった。世の中のお母さんの手はあったかくて柔らかいっていろんなところに書いてあるのに、うちは違うんだろう、と思っていた。子どもを産むとき母子手帳をもらって巻末を見たら児童憲章が書いてあって『児童は一人の人間として尊ばれる』というのを読んで号泣した。自分の子ども時代にそれはなかった。常に存在を否定されて育ってきたので、自分は将来は思い描けなかった。将来は、自分がいなくなることが最善だと。図画の時間の『将来の自分』、国語の時間の『将来の自分』を書かされることが出来なかった。同じ被虐友だちに相談したら、彼女たちは数段上を行ってて「大人がこう言ったら喜ぶだろう」ということを書けばいいのよ、と。自分にはそれが出来なくて「歌手になる」とか適当なこと書いてみんなから笑われたり。自分の将来のイメージは女性ホームレスだと、小学生の頃はずっと思っていた。だから親にはなりたくなかった。

Dさん :3,4年生の頃。親父がすごい呑んだくれで。夜になっても帰ってこない。母と一緒に父親を迎えに行って。寒い雪の中を。「一緒に死のう」って母親に言われるんじゃないかっていつもビクビクしてた。言われなかったけど。「一生、酒なんか飲むか」って思ったけど(場内大爆笑)。親父は煙草も吸ってたけど、僕は吸っていない。職人だったので、気が荒くて、しょっちゅうぶん殴られた。工場で遊んでると、口より先に手が出て、角材とかで頭ゴンってやられた。

Eさん :学校のことはあまり覚えていない。女4人兄弟の末っ子だったので、祖母から「男の子だったらよかったのに」とよく言われた。でも、父も母も一切そういうことは言わなかったので、そこで救われてたのかな、と。父が事業をやっていたので、祖母としては跡取りが欲しかったのだろう、と。学校は、先生の体罰がすごかった。私は優等生だったので、見てただけ。暴力がひどすぎて他のことはあまり覚えていない。これでもか、というくらい殴っていた。今では考えられない。鼻血を出してもやめない、っていうこともあったので、怖い。だから一生懸命優等生をやる、そういう感じだった。クラス会をするとその先生も来て、和やかに話をする。あの頃の怖さって何だったんだろう、って思う。暴力が何で起こったか、ということが私の記憶にないからなのかな、とも思う。

Fさん :私は皆さんより年齢がすごく上。終戦後の教育。小学校に嫌な思い出は何もない。家では「90点取った」って言ったら、母が「○○ちゃんは100点だったんでしょ」。二つ上の兄には一品だけ多くおかずが出る。どうしてかなって。牛乳だったんだけど。兄は背が高くなった。

Gさん :親が自転車操業だったので、借金取りが来たりとか。いろいろ合図を決めて逃れていた。お金を借りに行くとき、返すとき、一緒に連れていかれた。情に訴える、という。祖母が孫である妹のことを悪く言ってたりしていた。中学の時のほうが過酷で、数学の先生がある生徒をひとりだけいつもくさして、そのうちグレてしまったのを目の当たりにした。ひどいな、と思った。

Hさん :パス。

Iさん :3年生の時、突然算数が出来なくなって、残されたけど、結局今も苦手。あと、水泳の授業が嫌で。冷たい水が嫌いだった。図工が嫌だった。斥力色盲で。ちょっとわかんない。それで絵を描かされるのがすごく嫌だった。空の色を紫で塗ったことがあったらしい。母から聞いた。記憶にないけど、多分その時に人に何か言われたのだろう、と。

Jさん :中学の時、生徒総会があって、先生の体罰があった、と発言した人がいた。そのあと誰もしなかった。その数日前に個人面談で「あなたは物事を高いところから見る傾向があるから、あまり発言しないほうがいい」と先生に言われたことが尾を引いて、その時何も言えなかったことが今でも心残り。

Kさん :頭の悪いことが嫌だった。みんなには言われなかったけど。自分のことじゃないけど。最近の取手の事件。杉浦さんが近くにいたら、と思うと悔しい。

Lさん :今も貧乏だが、子どもの頃はもっと貧乏だった。学校からお金を集める機会があると、いつも忘れたふりをしていた。親に言えなくて。教室の担任の先生の机の引き出しからストップウォッチがなくなったことがあって、ひとりひとりを犯人と決めつけて尋問するような、心無い聞き方でひどかった。復員の先生がいて、授業よりも戦争の話を聞きたがる人がいて、インパール作戦の話をしたりする。インパールに海なんかないのに「ふんどし一丁で泳いで渡ってサメがいて」みたいな話をすると、この先生…って、暗い気持ちになる。

杉浦さん:今の集金の話を受けて。自分が3年生の頃、学級委員だった。給食費を持ってこない家の子のところに集金に行ってきなさい、と先生に言われて、わけもわからず行って、家の前で「給食費をください」と大きな声で言った。今思えば、やっちゃいけないこと。そしてそれを先生はなぜ子どもにさせたのか。それはお詫びしなければいけないこと。すみません。

桜井さん:いや、それは虐待でしょ。大人からの虐待。それは大人がやっちゃいけない。杉浦さんの心にその杭を打ち込んでしまった大人が悪い。

Mさん :学校の給食。初めての給食でわーって嬉しくて。でもマヨネーズが大嫌いで。食べられなくて。でも先生は「食べるまで立ってなさい」と。2年生の先生は「交換していいよ」って。5年生の時、学校にきれいな折り紙があった。近く結婚する先生がいるからそのお祝いなのかなと学級の先生に言うと「そんなものあげるわけないでしょ!」と激怒された。子どもは大人のお祝いに何をあげるかなんてわからないのに。いつも優しい先生がなんでこんなふうに怒るのかわからなかった。6年生の時、うう同会の時、喘息が出て、入院。部活の先生は自分が体育が苦手だからサボった、と勝手なことを吹聴していてショックだった。そのあたりから先生全般信じられなくなった。いじめられても仲裁にも入ってくれなかった。「学校なんて行かなくても生きていける」っていう親だったので救われた。

Nさん :低学年の頃、父が起業した薬局が潰れた。両親がよく喧嘩していた。お金で喧嘩しているのはわかっていたから自転車を買ってほしい、とも言えなかった。お金で喧嘩していることを知っている、ということも言えなかったし、未だに言っていない。

Oさん :学校を抜け出して…。地元の野球部に父親が入れた。父親がコーチだったのでやめられなかった。両親が…。祖母が結構厳しくて…。

杉浦さん:ありがとうございます。子どもがどういう対応があった時に心の傷になっていつ頃解消するか、とかって結構時間がかかることがよくわかりました。『子どもの権利条約』を見ていただくと、どういう問題をどこで着目してくれるかがわかると思います。今日の話を心にとめておいていただいて、もう少し条約を詳しく書いたものを見ていただくと、よりわかると思います。ネットで『ユニセフの子どもの権利条約』っていうのを検索すると、本当に短い文章で解説が書いてあります。

     子どもっていうのは無視してれば勝手に育つっていうのではなくて、みんないろんなことを心の中に溜めながら育ってくるっていうことで、『子どもの権利条約』を見るにあたって、非常にいいお話が聞けたと思います。

     あと、『子どもの権利条約』について、あとからお見えになった児玉弁護士、一言お願いいたします。

(つづく)

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by erioneesan | 2017-06-30 16:08 | Trackback