落語協会お囃子、恩田えりのブログです。寄席囃子の話とかとか。


by erioneesan
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収束って何 2

3月1日午後。東京地裁。103法廷。



埼玉県出身。
早期退職し田村市に移住。
先に早期退職した夫が先に移住し
自分も追って移住、夫婦で畑を開墾した女性。



石油会社の成分分析や、公害分析の仕事をしていました。

田舎暮らしが夢でした。

営林所の苗畑を買い取り、有機農業をするため畑を三年かけて作りました。

枯葉を山から取り、酪農家から牛糞をもらい作りました。

50以上の作物を作っていました。
ナスだけで6種類、トマト、キュウリ、大豆、白豆、ブルーベリーなど。

スーパーの味とは全く違う、美味しい味でした。

2007年に夫が他界しましたが
静かなところが好きなので独り身はさほど寂しくなかったです。
犬もいましたし。

東京での避難生活は満足できない生活です。
とても狭く、犬も預けています。

モモという名は田村の名産、桃にちなんで名付けました。

田村の家は5部屋、140平米、老後を考えバリアフリーにしてありました。

犬は息子の家の庭に繋がれています。
最期まで看取ってやりたいですが、叶うかわかりません。

震災後大変なことのひとつは食品を買わなくてはいけないことです。

原発事故で避難したことで、今までの生活が断ち切られてしまいました。

毎日、喪失感と先が見えない不安でいっぱいです。

今も避難を続けるのは、田村の家の線量が高いからです。

2012年5月、レーダーで自宅を測定したら外が1.0ベクレル、中が0.7でした。
東京の避難先はは0.04でした。

2013年田村市が除染をしましたが、外が0.36、その1m上の屋根は0.46でした。
除染目標は0.23以下です。

周りの林は除染をしていません。
そこから降りてくるのではないかと思います。

8万ベクレル/年。基準4万ベクレル/年の倍以上です。

事故後5回戻りましたが、土壌の汚染が酷くてとても戻れません。

ひとりで開墾は難しいです。

(提出書類の2015年11月の写真を見ながら)
放射能で帰れないせいで家は荒れています。

元の状態に戻れば帰れますが、半減期は30年です。
存命のうちは無理だと思っています。

他の土地で田舎暮らしが出来るなら移りたいです。

今は避難中です。
賠償金が支払われる、もしくは、移住できれば、定住と呼べるようになるでしょう。

今の住居は三月末まで。四月以降は未定です。

(最後に裁判所へひと言どうぞ、という弁護士さんの声かけを受けて)

『私たちは原発事故で避難しています。
住宅に関して国が施しをしないことに非常に強い怒りを覚えます。
私は福島の田舎暮らしに夢を持っていました。
事故で無どころかマイナスになってしまい、強い怒りを覚えます。
行政は帰れと言いますが、健康に被害がないかを立証していただきたい。
国が責任を取らないのは納得がいきません。
ぜひとも公正な裁判をお願いいたします』

(つづく)

※『福島原発被害東京訴訟』次回は5月17日です。











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by erioneesan | 2017-04-06 02:03 | Trackback